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2006年2月24日 (金)

12.4 「平家物語」の創作

12.4 「平家物語」の創作Img_4423

 「平家物語の猫間中納言」の項で、近所の公家「猫間中納言」が訪ねてきたとき、食事を出したが、「ねこま殿」を「ねこ殿」と間違えたとか、粗末な食器で山盛りご飯を強要した。食べ残しを「ねこおろし」したとからかったという話しである。義仲は無礼な奴であるという評価のようである。しかし、当時の公家社会では少々のだじゃれは許容されていたようである。それが平家政権では「へいしが倒れた」というようなしゃれも通用しない時代だった。禿髪(かぶろ)などという密告部隊もいた。少しでも悪口言うとひどい目に遭った。恐ろしかった。義仲はそんなことはない。本人がだじゃれが通用する。というように話しを面白くしたようである。実際は不明。
 叉、発音が不明瞭なのをからかっているようでもある。木曽軍には北陸地方の武士も加わっているので、なかには「ま」の発音が不明瞭な者がいたかもしれない。現在でも新潟の知人の「印鑑」の発音は「えんかん」と聞こえる。「えちご」は「いちご」となる。また宮城県の知人は「中山」を「なかま」とやぬきで発音した。「ま」がぬける「まぬけ」な話しとしてからかっているのだろうか。あるいは単に省略しているのか。「わたなべ」さんは「なべ」さん、「やまだ」さんは「やま」さんとなるように。
 また食事の習慣や作法が武士と公家、田舎と京都で異なることも原因である。当時、公家社会では朝夕の2食であったが、武士は腹が減っては戦が出来ぬということで、3食、さらには5食であったようである。また公家はすでに白米であったが、武士農民は玄米食であった。田舎では食事時に来客があると一緒に食事をするのが常識である。ということは食事時に訪問は遠慮するのが常識である。また食料事情が悪い時は出された食事や菓子も遠慮するのが常識であり、逆に出した側は何回か勧めるのが常識である。その他当時大飢饉の頃で、山盛りご飯をかき込んで食ってみたいという庶民の願望があったかもしれない。また「速飯、速便、速駆け」はかっての旧日本軍では常識であった。粗末な食器で粗食であった。公家化した平家の武士とのあまりの違いにとまどう貴族の様子が見える。
 京都では「おぶ(お茶)でもどうぞ」は完全な挨拶言葉だから、お茶は出てこないし、早く帰れの合図でもある。地方では「お茶でも飲んでけや」と本当にお茶を出してくれる。まさに「日本の常識」は「世界の非常識」、「世界の常識」は「日本の非常識」、「田舎の常識」は「都の非常識」、「都の常識」は「田舎の非常識」である。郷に入らば郷に従えともいう。
 この話しには「語りもの系」と「読み本系」と2系統あり、もう一つは「ねこ殿」と間違えたのは家来の「ねのいのこやた」であるとか、残した食事を「お持ち帰り」として公家の従者に持たせたのに「こんなものが食えるか」と放り投げて帰った。それを見た義仲の家来が京都の人は上も下も贅沢だと嘆く話しである。(平家物語延慶本、源平盛衰記など)当時京都は大飢饉で死者が何万人も出たそうである。それでも公家連中は贅沢していたかもしれない。やや落ち目とはいえ公家貴族の悪口は言えない。Img_4425
 義仲をけなしている文章の前に頼朝を誉めそやしている文章がある。このように平家物語では2つを対比させる方法で強調する文章技法が多用されているので、頼朝を優美であると強調し、義仲を田舎者と強調している。しかし両者とも20数年を田舎で過ごした田舎者にさしたる違いは無い。
 いずれにしても、当時勢力を拡大し、公家貴族、神社、仏寺の既得権益を浸食する頼朝など関東武士への反感を義仲に代表させたものである。

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