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2006年2月27日 (月)

13.2.2 法住寺合戦2日前

13.2.2  法住寺合戦2日前

11月17日 雨下る、
「京中騒動」
平旦(午前4時頃)人告げて云う、院中武士群集す、京中騒動と。何事かを知らず。
「義仲院御所を襲う由院中に風聞あり」
しばらくありて又人云う、義仲院の御所を襲うべき由、院中に風聞す。
「法皇が義仲を討たるか」
又院より義仲討たれるべき由彼の家に伝え聞く。両方偽詐を以て告げ言う者有るか。此の如しの浮説に依って、彼是鼓騒す。敢えて云うべからずと。もし勅命に背くば、罪の軽重に随い、罪科行わるるは例なり。又たとい王化に服せざる者有りと雖も、一州を慮領し、外土に引き籠もる、粗く先蹤(しょう、あと)有り。未だ洛中咫(し)尺の間此の如しの乱有るを聞かず。此の事計りなり。義仲忽ち国家を危うくし奉るべき理なし。
「君が兵を集むるは志愚の政なり」
只君城を構え兵を集め、衆の心を驚かさるるの条、専ら至愚の政なり。是少人の計より出づるか。果たして以て此の乱有り。王事の軽き、是非の論ずるに足らず。悲しむべし、悲しむべし。午後に及び、聊(いささ)か落居すと。
「法皇御愛物たるにより基通宿候す」
摂政(基通)召しに依り参入し、今夜宿し候はるべしと。是御愛物たるに依り、殊に召しに応ずるなり。他の公卿近習、両三輩の外、参入の人無しと。弾指すべし弾指すべし。藤原長方卿一人参入し、悲泣して退出すと。
「義仲の許に法皇使者を遣わす」
主典代(大江)景宗を以て御使いと為し、義仲に遣わされる。其の状に云う、謀反の条、諍(しょう、あらそう)ひ申すと雖も告げ言ふ人其の実を称す。今に於いてのがれ申すに及ばざるか。

「義仲洛中に逗留するを勧めず」
もし事無実たらば、速やかに勅命に任せ、西国に赴き平氏討つべし。たとい又院宣に背き、頼朝の使いを防ぐべしと雖も、宣旨を申さず、一身早く向かうべきなり。洛中に在りながら、動もすれば聖聴を驚し奉り、諸人を騒がしむ、おおいに不当なり。猶西方に向かわず、中夏に逗留せば、風聞の説、実に処せられるべきなり。能(よく)思量し進退すべしと。其の報奏の趣未だ聞き及ばず。

「兼実使者を以て物騒の子細を院中に尋ねる」
余使者(国行)を以て院に進らしめ、定能卿に示し送りて云う、所労に依り早く参らず、物騒の子細、委しく告げ示されるべしという。返事の趣、大途風聞の如し。晩に及び、左少弁光長来たり語る旨、又以て前と同じなり。此の夜八条院(暲子内親王)八条殿に還御すと。疑うらくは明暁義仲を攻められるべきかと。左右能わず、左右能わず

「義仲勢僅かと雖も勇なり」
義仲其の勢幾ばくならずと雖も、其の衆おおいに勇となすと。京中の征伐、古来聞かず、もし不慮の恐れ在らば、後悔如何。

「近習小人により此の如き大事に至る」
小人等近習の間、遂に此の大事に至る。君の士を見ざるの致す所なり。日本国の有無、一時に決すべきか。犯過無き身、只仏神に奉仕するのみ。

(現代文)
「京中騒動」
 午前4時頃、ある人が報告に来た。法皇の御所内に武士が大勢集まっています。京都市内は大騒ぎのようです。何事かはわかりません。
「義仲院御所を襲う由院中に風聞あり」
しばらくして、又報告がありました。義仲が法皇の御所を襲うようだという噂が、法皇の御所内に広まっています。
「法皇が義仲を討たるか」
又法皇が義仲を征伐するという噂が義仲の家に伝聞しているようである。両方ともいつわりを込めて告げ口する者があるようだ。此のようなデマに依って、彼是大騒ぎしている。敢えて云うべきではない。もし天皇の命令に背くならば、罪の軽重により、刑罰を行なうのが通例である。又たとい王者の徳で世の中をよくすることに服従出来ない者が有りと雖も、一国を不法に横領し、都から遠く離れた土地に引き籠もることは、ほぼ先例は有る。未だ京都市内の短い間で此のような争乱が有る事は聞いたことがない。此の事件は誰かの計り事である。義仲が忽ちに国家を危うくし奉るべき理由はなし。
「君が兵を集むるは志愚の政なり」
只法皇が城のように備えを構え武士軍兵を集め、大勢の人の心を驚かされる事は、専ら極めて愚な政策である。是は思慮の足りない人の計り事より出たもののようだ。果たして以て此の争乱は有りか。帝王の事業の軽き事は、よしあしを論ずるまでもない。悲しむべし、悲しむべし。午後に及び、いささか落ちついたようだ。
「義仲の許に法皇使者を遣わす」
主典代の大江景宗が御使いとなり、義仲のもとへ遣わされた。其の書状に云う、謀反の事、あらそい申すと雖も告げ口を言う人は其の事実を主張している。今に於いてのがれ申すに及ばないようである。

「義仲洛中に逗留するを勧めず」
もしこの事が無実ならば、速やかに天皇の命令に従い、西国に赴いて平氏を討つべきである。たとい又法皇の命令に背き、頼朝の使いを防ぐべしと雖も、天皇の命令書を請求せず、一身早く向かうべきである。京都市内に在りながら、動きをすれば法皇の耳を驚しなさり、諸人を騒がせることは、おおいに不当である。猶西方に向かわず、京都に留まるならば、風聞の説が、実説として取り扱うべきである。よく思量し進退すべきである。其の報奏の趣は未だ聞き及んでいない。

「兼実使者を以て物騒の子細を院中に尋ねる」
(兼実は)使者の国行を以て法皇に進め、定能卿に示し送りて云う、所労に依り早く参らず、騒動の子細を、委しく報告されるべしと言う。返事の趣は、大むね風聞のようである。晩に及び、左少弁の光長が来た。語る要旨は、又以て前と同じである。此の夜八条院(暲子内親王)が八条殿にお帰りであるようだ。もしかすると明暁に義仲を攻めるようである。どうしようもない、左右能わず

「義仲勢僅かと雖も勇なり」
義仲の軍勢は多くはないと雖も、其の部下将兵はおおいに勇敢なものであるようだ。京中での征伐は、古来より聞いた事が無い。もし不慮の恐れが在れば、後悔するだろう

「近習小人により此の如き大事に至る」
思慮の足りない者達が法皇の近くに仕えているので、遂に此のような大事件に至ったのだ。法皇の人を見る目が無い処の結果である。日本国朝廷の有無は、一時に決すべきか。過ち無き我が身は、只仏神に奉仕し頼るのみである。

(解説)
思慮の足りない法皇とその側近が悪い。義仲は悪くは無いが、早く西か東か京都を出よ。と思っている。

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