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2006年2月20日 (月)

11.2 木曽義仲軍劣勢でも連勝

11.2 木曽義仲軍劣勢でも連勝Img_5373_1

 木曽義仲軍が常に人数では劣勢なのに勝ってきたのは、敵軍の人数が風聞の半分か10分の一かもしれないということ、さらに敵の遠征軍に対して自軍は待ち受けている有利さを考慮した結果であろう。遠征軍は徴兵徴発し、食料の調達をしながらの進軍であるから、疲れているので、2分の一、3分の一でも勝つ事がある。京都より西では状況が逆転したので、なかなか勝てない。
 最後の宇治川の合戦、義経軍6万騎との戦いでは、多分10分の一ないし5分の一の六千ないし1万騎と予想した。自軍は二千ないし三千騎である。敵は遠征で疲れているから、勝てるかもしれないと考えた。
 人数が全く正しければ絶対負けるはずだから、直ちに撤退したはずである。又かなり以前から義経軍の500騎程度がうろうろしていたので、それが若干の増援を受けて侵攻してきたと勘違いしたか。
 「玉葉」によれば、義仲は京都を撤退するとき、法皇を具し、市内を焼き払う予定だった。(参照 玉葉1184年(寿永3年)1月20日)しかし、どちらも実行してない。出来なかったのか。平家は天皇を具し、六波羅辺りを焼き払って、早々と退却した。おかげで市内は大混乱になった。義仲はぎりぎりまで、市内に留まったので、市内の混乱は無かった。義仲の配慮か、偶然か、不幸中の幸いである。兼実は「一切狼藉無し。最も冥加なり」と義経軍のみ賞賛しているが、実は義仲もほめるべきである。

考資料 a 「一家も焼かず、一人も損せず、一切狼藉無し。」
1184年(寿永3年、元歴元年)1月20日
「東軍一番手梶原景時」
東軍の一番手、九郎の軍兵加千波羅平三と。その後、多く以て院の御所の辺に群れ参ずと。法皇及び祇候の輩、虎口を免がる。実に三宝の冥助なり。凡そ日来、義仲の支度、京中を焼き払い、北陸道に落つべしと。而るにまた一家も焼かず、一人も損せず、独身梟(きょう、ふくろう)首せられたり。天の逆賊を罰す。
「東軍入京」
即ち東軍等追い来たり、大和大路より入京す(九條川原辺に於いては、一切狼藉無し。最
も冥加なり)。
(現代文)
「東軍一番手梶原景時」
東軍の一番手は、源九郎義経の軍兵で梶原平三という。その後、多く以て法皇の御所の周辺に多く集まり参上したと。法皇及び側近の者共、虎口を免がる。実に三宝の神仏の助けである。全く日頃、義仲の準備は、京都市内を焼き払い、北陸道に落ちるべしというものであった。それなのにまた一家も焼かず、一人も損傷せず、一人さらし首にさせられた。天は逆賊を罰した。
「東軍入京」
即ち東軍等が追いかけて来た。大和大路より入京した(九條川原辺に於いては、一切の狼藉は無し。最もなる神仏の助けである)。

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