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2006年2月 7日 (火)

8.4 「頼朝三ケ条の事を院庁官に付す」

8.4 「頼朝三ケ条の事を院庁官に付す」

1183年 (壽永二年 癸卯)
10月1日 陰雨下る、昼間晴れ、晩に及び風吹き。
伝聞、先日頼朝の許へ遣わす所の院の庁官、此の両三日以前に帰り参る。巨多の引き出物を与ふと。頼朝折紙に戴せ三ケ条の事を申すと。

10月2日 朝間天気陰、午後曇り晴れ、
「頼朝三ケ条の事を院庁官に付す」
ある人云う、頼朝申す所の三ケ条の事、
1は平家押領する所の神社仏寺の領、たしか(慥)に本の如く本社本寺に付すべき由、宣旨を下さるべし。平氏滅亡は、仏神の加護たるの故なりと。
1は院宮諸家の領、同じく平氏多く以て膚掠(りょりゃく)すと。是又本の如く本の主に返し給ひ、人の憂いを休められるべしと。
1は帰降参来の武士等、各其の罪を宥(ゆるす)、斬罪おこなわれざるべからず。其の故何とならば、頼朝昔、勅勘(ちょっかん)の身なりと雖も、身命を全うするに依り、今君の御敵を討伐の任に当たる。今又落ち参る輩の中、自ら此の如しの類ひ無からんや。よって身を以てこれを思うに、敵軍なりと雖も、帰降の輩においては罪科を寛宥(かんゆう)し、身命を存しむべしと。この3条折り紙を戴せて言上すと。
一一の申し条義仲等に斉しからざるか。
(現代文)
10月1日 陰雨下る、昼間晴れ、晩に及び風吹き。
伝聞、先日頼朝の許へ派遣していた法皇の役所の官吏が、此の二・三日以前に帰りました。数多くの贈答品を頂いたようだ。頼朝は文書により三ケ条の事を申し上げたようだ。
10月2日 朝間天気陰、午後曇り晴れ、
「頼朝三ケ条の事を院庁官に付す」
ある人が言いました。頼朝が申請した所の三ケ条の事は、
1は平家が横取りした所の神社仏寺の荘園領地は、たしかに本のように本社本寺に戻すべきよう、天皇の命令を下さるべきです。平氏の滅亡は、仏神の加護によるとの理由です。
2は法皇、宮家、公家諸家の荘園領地も、同じく平氏が多く以て横取りしています。是も又本のように本の主に返しなされて、臣下の心配を取り除くべきです。
3は降参して来る武士等は、各其の罪をゆるし、死刑にすべきではありません。其の理由は、頼朝は昔、罪人の身でしたが、命を完全に保つことにより、今や天皇や法皇の御敵を討伐する任務に当たります。今又降参して参る者の内で、自ら此のような例が有るかもしれません。よって身を以てこれを思うに、敵軍なりと雖も、降参して来る者においてはその罪をゆるし、助命すべきです。この3条を文書により申し上げます。
一一の申し条は義仲等には知らせないで下さい。
(解説)
神社、仏寺、法皇、宮家、公家諸家の領地、荘園は北陸、関東にも多かったようである。平家に横取りされた領地を元に返すと、甘い餌をまいている。喜んだ法皇や公家は頼朝に関東の統治権を与える。さらに10月4日に詳細が記述されている。

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