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2006年2月 9日 (木)

8.6「頼朝朝務を計い申す」

8.6「頼朝朝務を計い申す」

「吾妻鏡」1184年 (壽永3年)2月25日 甲申
  朝務の事、武衛御所存の條々を注し、泰経朝臣の許に遣わさると。
  一、朝務の事
 右、先規を守り、殊に徳政を施さるべく候。但し諸国の受領(長官)等、尤も計りの御沙汰有るべく候か。東国・北国両道の国々、謀叛を追討するの間、土民無きが如し。今春より、浪人等旧里に帰住し、安堵せしむべく候。然れば来秋の比、国司を任ぜられ、吏務を行われて宜しかるべく候。
  一、平家追討の事
 右、畿内近国、源氏平氏と号し弓箭に携わるの輩並びに住人等、早く義経が下知に任せ、引率すべき由、仰せ下さるべく候。海路輙(ちょう、すなわち)ならざると雖も、殊に総て追討すべき由、義経に仰せ付けらるべきなり。勲功の賞に於いては、その後頼朝遂って計り申し上ぐべく候。
  一、諸社の事(中略)
  一、仏寺の間の事(中略)
     壽永三年二月日        源頼朝

玉葉1184年 (壽永3年)2月27日 雨下「頼朝朝務を計い申す」
伝聞、頼朝四月下旬上洛すべしと。また折紙(奉書)を以て朝務を計り申すと。人以て可と為すべからず。頼朝もし賢哲の性有らば、天下の滅亡いよいよ増すか。

(現代文)
  朝庭の政務について、頼朝の御考えの條々を記し、大蔵卿の泰経朝臣の許にお送りしたと。
  一、朝務の事
 右、先代からの規約を守り、殊に租税を免ずるなどの徳政を実施するべきです。但し諸国の長官等は、尤も計画の御指図有るべき事です。東国・北国両道の国々は、反乱軍を追討する間、土着の民はいないも同様の状態です。今春より、浪人等を故郷に帰し住まわし、安心して生活出来るようにするべきです。そうすれば来秋の頃、国の長官を任命され、
官吏の職務が行なうことが出来るでしょう。
  一、平家追討の事
 右、畿内(京都近県)の近国で、源氏や平氏と名乗る武士並びに住人等を、早く義経の令指図に任せて、引率出来るように、御命令下さい。海路はたやすくはないが、殊に総て討すべきように、義経に御命令下さるべきです。勲功の賞については、その後、頼朝が協議し申請いたします。

玉葉1184年 (壽永3年)2月27日 雨下「頼朝朝務を計い申す」
伝え聞く、頼朝は四月下旬に上洛するという。また文書を以て朝庭の政務を相談し申し込むという。人々はこれを以て良しと為すべきではない。頼朝がもし賢明で道理をわきまえた人ならば、我が朝廷の滅亡がいよいよ増すようだ。

(解説)
「東国・北国両道の国々、謀叛を追討するの間、土民無きが如し」、「武士並びに住人等、引率出来るように」は武士以外にも農民も徴兵・徴発して、総動員していたことを示す。東国・北国両道の国々からはしばらく税をとるな、京都近県の近国では武士はもちろん農民等も徴兵・徴発すべしと申請している。平家物語では平家軍は駆り武者が主だから弱い、頼朝軍は忠誠を誓った御家人だから強いという説明があるが、事実とは異なるようである。
兼実は頼朝が朝廷の政務に口出しをしてきた。「もし頼朝が賢いと我が朝廷も危ういかもしれない」と不安を抱く。

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