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2006年2月28日 (火)

13.2.3 法住寺合戦前日

13.2.3 法住寺合戦前日

11月18日 天気晴れ、
「吉田祭」
此の日吉田祭なり、
「兼実良通共に院に参る」
早朝大将を伴い院に参らんとする間、泰経卿奉行となり、只今参るべき仰せあり。承りたる由を申す。即ち相共に院に参る。時に辰の刻(8時)なり。泰経卿を以て仰せ下されて云はく、世上の物騒、逐日倍増す。然り間浮言多く出で来たり、御所の警護法に過ぐ。義仲叉命に伏する意無きに似たり。事すでに大事に及べり。よって昨日主典代景宗を以て御使いと為し、仰せられて云わく、征伐の為西国に向かうべき由、度々仰せ下さる。しかるに今下向せず。又頼朝の代官を攻むべき由申さしむと。然からば早く行向かうべし。しかるに両方とも首途せず、すでに君に敵せんとす。其の意趣如何。もし謀反の儀無くば、早く西海に赴くべしといえり。義仲報奏して云う、先ず君に立ち会い奉るべき由、一切存知せず。これにより度々起請を書き進らせたり。今尋ね下さるる条、生涯の慶びなり。西国に下向に於いては、頼朝の代官数万の勢を引率して入京すべし。てへれば一矢射るべき由、素より申す所なり。彼入れらるべからずは、早く西国に下向すべしと。
「法皇条々の事を兼実に諮られる」
この上頼朝の代官の事何様に仰せられるべきや。兼ねて又此の騒動に依り、院に行幸有るべきか。将に忽ち然るべからざるか。此等の条々計らひ申さしむべしといえり。
「義仲に敵対するは王者の行いに非ず」
申し云う、先ず院中のご用心の条、頗る法に過ぎたり。是何故ぞや。ひとえに義仲に敵対せらるるなり。おおいに以て身苦し。王者の行いに非ず。もし犯過有らば、只其の軽重に任せ、刑罰を加えられるべし。又仰せくだされる如くば、申し状いまだ穏便か。然らば先ず然るべき御使いを遣わされ、且つ浮言の次第を尋問せられ、且つ所行の不当を勘発せられ、もし告げ言う輩を指し申さば、法に任せ刑罰に行われるべし。先ず当時敵対の儀を罷(やめる)らるる、尤も宜しきか。義仲もし理に伏し和顔有らば、何ぞ征討に赴かざらんや。たとい罪科有るべしと雖も、出境の後其の沙汰有らば、当時の怖畏有るべからざるか。洛中咫(し)尺の間、君に敵対せらるの条、当時後代、朝の恥辱、国の瑕瑾(かきん、きず)何事か之に過ぎんや。もし又猶勅命を受くるを背ぜずば、かの時法に任せ科断有るべきか。今の沙汰の如くば、王化無しが如し。甚だ以て身苦しきか。頼朝の代官の条に於いて、勢少なくば入るべき由、義仲申す旨、先日風聞有り。更に変じ申すべからずか。又巨多の士卒を率いば、停止すべき由、かの代官に仰せられるべきか。行幸の条、忽ち然るべからざるかといえり。泰経卿御前に参りたり。その後人々多く以て参集し、左大臣以下大略残る人無きか。定長卿を以て暫く候ふへき由仰せられる。よって祗候(しこう)す。
「密々に行幸あり」
未の刻(14時)に及び、定能卿密々に来たり告げて云う、只今御車を以て密々に行幸成りたり。院知し食さずと。頃之(しばらく)ありて定長来たり問いて云う、
「何処を皇居とすべきか」
図らざる外行幸有り。此の亭を以て皇居とすべきか。将に又猶閑院を以て皇居と為すべきか、計らひ申すべしといえり。申し云う、此の御所を以て皇居と為さば、行幸の条おおいに奇。よって只殿上巳下の事、閑院に在るべきかといえり。定長云う、左大臣が申さるる旨同前と。申の刻(16時)に及び伺候す。殊に尋問せらるる事無し。よって泰経に触れて退出したり。太夫吏隆職来たり、余之に謁す。隆職の所存余の案の如し。
「法皇の宮々院中に候す」
摂政今夜より院御所に参宿せらるると。仁和寺宮(守覚)・八条宮(円恵)・鳥羽法印等、皆日来より院中に候はると。

11月18日 [吉記]
 高倉宮(北陸宮と号す)、日来院におはす。女房一両之に具し奉る。去る夜逐電し給わりしむと。仁和寺宮(守覚)巳下宮々、並びに山座主、及他奏綱僧徒、各武士を相具し、辻々に候し、或いは防雑役車を引き、或いは逆毛木を引き、堰(せき)を堀、警護の体、言語の及ぶ所に非ず。但し偏えに是天魔の結構なり。昨日主典代景宗を以て義仲の許へ仰せ遣わし云う、偏えに公家を威し奉り、謀反を巧らむの由、其の聞こえ有り、本儀の如く追討の為西海に向かうべしは勿論、叉頼朝代官を防ぐため東国に向かうべし意有るべしか。京早く退出すべし、分明申し切らずと。今日西海に向かうべしの由両度申したり。解官有るべし否、叉追討されるべしの条、頼朝舎弟伊勢神郡に着くの由、脚力進めると。

(現代文)
「吉田祭」
此の日吉田祭なり、
「兼実良通共に院に参る」
早朝、息子の大将の良通を伴い法皇の御所に参ろうとする時、泰経卿が奉行となり、只今参るべきの知らせがありました。承知したと返事を申した。即ち相共に法皇の御所に参りました。時に午前8時でした。泰経卿を介して法皇のお言葉が下されて云はく、世上の騒動は、日ごとに倍増している。そのような時にデマが多く出て来た。御所の警備体制は平時に比べ過剰である。義仲もまた法皇の命令に従う意思が無いように見える。事はすでに大事に及んでいる。よって昨日主典代の景宗を以て御使いと為し、申し付けられて云う、征伐の為西国に向かうべき由、度々命令下さる。しかるに今までも下向していない。又頼朝の代官を攻むべき由申しているようだ。それなら早く行向かうべきである。しかるに両方とも出立せず、すでに法皇に敵対しようとしているようだ。其の意趣はどうだろう。もし謀反の意思が無ければ、早く西海に赴くべしと言うことだ。義仲は申し上げて云う、先ず法皇に反抗し奉るべき由は一切存知せぬことである。これにより度々起請文を書き差し上げました。今お尋ね下さる処の事、生涯の慶びであります。西国への下向については、頼朝の代官が数万の軍勢を引率して入京するようです。それには相対して一矢でも射るべき由は、前から申す所である。頼朝の代官が入れらるべからずならば、早く西国に下向すべきであるようだ。
「法皇条々の事を兼実に諮られる」
この上は頼朝の代官の事は何様に命令下すべきか。兼ねて又此の騒動に依り、法皇には行幸有るべきか。将に忽ち然るべからざるか。此等の事項について協議し申し上げるべしといえり。
「義仲に敵対するは王者の行いに非ず」
申し上げた、先ず法皇御所の中のご警備体制の件、通常より頗る過剰である。是はいかなる理由か。ひとえに義仲に敵対しているものである。おおいに以て身苦しい。王者の行いに非ず。もし罪が有るならば、只其の軽重に随い、刑罰を加えられるべきである。又申し付け下すようならば、申し状はいまだに穏便である。それならば先ず然るべき御使いを遣わされ、且つデマの次第を尋問し、且つ所行の不当を指摘し、もし告げ口を言う者を指名するなら、法に随い刑罰を行なうべきである。先ず現在の敵対の処置を停止するのが、最も宜しい。義仲がもし道理に伏し、穏便で有るならば、何ぞ征討に赴く事があろうか。たとい罪科有るべしと雖も、京都を出てから後其の沙汰をすれば、現在の恐怖は無くなるだろう。市内の近くで、法皇に敵対するような事は、現在や未来において、朝庭の恥辱であり、国家のきずである。何事か之に過ぎるものがあろうか。もし又猶天皇の命令に違反するならば、その時は法に随い処断するべきである。今の処理の仕方では、王者としての徳で世の中を良くすることは無いようである。甚だ以て身苦しいものである。頼朝の代官の件についても、軍勢が少なければ入るべき由、義仲は申す旨、先日風聞が有りました。更に変更を申すべからずか。又数多くの士卒を率いてくれば、停止すべき由を、かの代官に申し付けるべきである。行幸の件は、忽ちそうあるべきでは無いといえる。泰経卿が法皇の御前に参りました。その後人々が多く以て参集し、左大臣以下大略残る人無きか。定長卿を以て暫く待機するよう申し付けられました。よって待機しました。
「密々に行幸あり」
14時になり、定能卿がひそかに来て告げて云いました。只今御車を以て密かに天皇がおいでになりました。法皇は知らないようである。しばらくして定長が来て質問しました。
「何処を皇居とすべきか」
予想外なことに天皇がおいでになりました。此の御殿を以て皇居とすべきか。将に又猶閑院を以て皇居と為すべきか、協議し申すべしといえり。申し上げた。此の御所を以て皇居とするならば、行幸の件はおおいに奇異である。よって只殿上以下の事、閑院に在るべきであるといえり。定長が云う、左大臣が申さるる旨は同前である。16時まで待機した。殊に尋問される事は無し。よって泰経に告げて退出した。太夫吏の隆職が来たので之に会った。隆職の考えは余の案と同じであった。
「法皇の宮々院中に候す」
摂政が今夜より法皇の御所に参宿するようだ。仁和寺宮(守覚)・八条宮(円恵)・鳥羽法印等、皆、従来より法皇御所の中においでであるようだ。

11月18日 [吉記]
 高倉宮(北陸宮と号す)は従来、法皇の御所においでになりました。女官が一人か二人之にお仕えしていました。去る夜行方をくらまし逃げたようである。仁和寺宮(守覚)以下の宮々、並びに比叡山の座主、及他奏綱僧徒が、各々に武士を相伴い、路の辻々に待機し、或いは防雑役車を引き据え、或いは逆毛木を引き置き、堰(せき)を堀、警護の様子は、言語の及ぶ所に非ず。但し偏えに是天魔のたくらみである。昨日主典代の景宗を以て義仲の許へ法皇の申し付けを遣わして伝えた、偏えに法皇貴族を威し奉り、謀反を巧らむの由、其の聞こえが有るが、本来の命令のように追討の為西海に向かうべしは勿論、叉頼朝の代官を防ぐため東国に向かうべきの意思は有るのか。京を早く退出すべしと。明らかなこと申し切らずと。今日西海に向かうべしの由再度申したようだ。解官有るべしか否か、叉追討されるべしの条、頼朝の舎弟が伊勢神郡に着くの由、飛脚が来たようだ。
(解説)
兼実は「天狗の所為」、吉記では「天魔の結構」(天魔のたくらみ)と表現し、公家貴族から見ても法皇側の警備体制、軍事行動はかなり異常と映ったようである。

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