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2006年1月30日 (月)

7.2 義仲入京前の混乱

7.2 義仲入京前の混乱

7月26日[吉記]「眼前に天下の滅亡を見る」
 山僧等京に下る。路次の狼藉勝げて計ふべからず。或いは降将縁辺と称し放火し、或いは追捕物取と号す。人家一宇全うする所無し。眼前に天下の滅亡を見る。ああ悲しきかな。余の亭は此のわざわいを免れる。ひとえに仏神の冥助なり。
(現代文)
比叡山の僧兵達などが、京都市内に入ってきた。道路付近の乱暴乱雑な状態は数え切れないほどだ。平家の武将のゆかりの家だとして火を付けたり、追捕だとして略奪する。人の住む家で完全な所は無くなった。眼前に天下の滅亡を見る思いだ。悲しい事だ。幸いにも私の家はこの災難を免れた。まさに仏様神様のお助けである。

7月27日「玉葉」「義仲、行家、士卒の狼藉を停止、早く入京すべし」

今においては、義仲(木曽)、行家(十郎)等、士卒の狼藉を停止、早く入京すべしか、その後早く速やかに還御あるべし、しからずば、京都の濫吹あえて止めるべからず、これらの趣早く奏聞すべし。
(現代文)
今となっては、木曽義仲や十郎行家などを、武士等の乱暴を停止させるため、早く京都へ入れるべきである。その後速やかに法皇がご帰還されるべきである。そうでなければ、京都の秩序の乱れ、乱暴狼藉は止める事が出来ない。これらの状況と趣旨を早く申し上げるべきである。
(解説)
平家軍都落ち後、予想外の混乱が発生した。「愚管抄」によればたがいに追捕(略奪)をした。市民同士が略奪したのか、市民と平家軍なのかは不明だが、警備の空白に発生した京都市内の混乱、乱暴狼藉を停止させるには義仲・行家の早い入京に期待するしかない。当時の僧兵も外見は僧のようであるが、寺の傭兵のようなもので武力を振るった。

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