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2006年1月13日 (金)

「玉葉」に見る義仲軍の場合

4.2 「玉葉」に見る義仲軍の場合

寿永2年8月6日
「京中の物取り追捕逐日倍増」、
 京中の物取り追捕、逐日倍増、天下すでに滅亡したり、山掘厳穴、閑かなるべきの所無し、三界無安の金言、誠なるかなこの言。

寿永2年8月28日 
「武士十余人の頸を切る」
伝聞、今日七条河原に於いて、武士十余人の頸(首)を切ると。

寿永2年9月3日 天陰、時々雨降り、
「四方の通路皆塞がる」
 ある人云う、凡そ近日の天下、武士のほか、一日の存命の計略無し、よって上下多く片山田舎等へ逃げ去ると、四方皆塞がり、(四国及び山陽道安芸以西・鎮西等、平氏征討以前通達すること能わず、北陸・山陰両道義仲押領す、院分巳下の宰吏、一切吏務能はず、東山・東海両道頼朝上洛以前、又進退すること能わずと)、畿内近辺の人領、併しながら刈り取られたり、段歩残らず、又京中片山及び神社・仏寺・人屋・在家、悉く以て追捕す、其の他適々不慮の前途を遂げる所の庄公の運上物、多少を論せず、貴賤を嫌わず、皆以て奪い取りたり、此の難、市辺に及び、昨今売買の便を失うと、天は何ぞ無罪の衆生を棄てるや、悲しむべし、悲しむべし、
「人々の災難法皇の乱政と源氏の悪行より生ず」
此の如しの災難は、法皇の嗜欲の乱政と源氏奢逸の悪行とより出づ、しかる間、社しょく(天下)を思う忠臣、俗塵を逃れる聖人、各非分の横難に遭う、殆ど成仏の直道を怠る、哀しむべしはただ前世の宿業のみ、

寿永2年9月5日 雨下る、
「京中の万人存命不能」
ある人云う、近日京中の物取り、今一重倍増し、一塵の物途中に持ち出し能わず、京中の万人、今に於いては、一切存命する能わず、義仲院の領以下併しながら押領す、日々倍増し、凡そ緇素(僧と俗人)貴賤、涙を拭はざる無し。

(現代文)8月6日
 京都市内の物取りや追捕(官軍としての強制取り立て)は、日を追い倍増した。わが朝廷の治世はすでに滅亡したかのようだ。山中の岩屋や岩のほら穴等いかなる所も、静かな所は無くなり、三界(衆生が活動する全世界)無安の金言(古人の残した模範となる言葉)、全くこの言葉の通りである。
(現代文)8月28日 
伝え聞きによると、今日七条河原において、武士十余人の処刑をしたようだ。
(特に乱暴な武士を処刑したのかもしれない)
(現代文)9月3日 
ある人が言いました。おおむね、最近の京都市内では、武士以外の者は、一日として生き永らえる方策が見つからない。そこで身分の上下なく武士以外の多くの人は市外の片山や田舎へ避難したようだ。東西南北の四方の路は全て通行出来ない。つまり四国及び広島より西の山陽道や九州等は平氏を征伐する以前なので通行出来ない。北陸道や山陰道は義仲が不法に占領している。法皇以下の国司は、役人としての一切の職務の遂行が出来ない。東山道や東海道は頼朝が不法に占領し上洛する以前なので、又通行したり国司の職務の遂行が出来ない。京都周辺の諸国の近辺の所領は、田畑の段歩なども残らず刈り取られた。又京都市内及び周辺の神社・仏寺・人屋・在家を悉く追捕した。その他運よく京都に届いた所の庄園や公領の運上物も、多少にかかわらず、身分の高低を撰ばず、全て皆横取した。此の災難は、市中にも及び、昨今は売買など商売も出来ないようだ。どうして神様や仏様は何の罪も無い庶民を見捨てるのだろうか。やれやれ悲しいことだ。
「人々の災難法皇の乱政と源氏の悪行より生ず」
このような災難は、法皇の特に好むところの乱れた政治と源氏の奢りや法令を順守しない悪行とより出たものである。このようなとき、天下のことを思う忠臣や、俗世のわずらわしさを逃れる聖人なども、それぞれ過分の不慮の災難に遭う。これでは素直に成仏出来ない。哀しむべしはただ前世の所業の善悪のみか。
(現代文)9月5日 
ある人が言いました。近頃京都市内の物取りは、今一層倍増し、どんな小さな物も外に持ち出す事も出来ない。京都市内の全ての人が、今や、一切生き永らえる事が出来ない。義仲軍は法皇の領以下も不法に横取りし、日々倍増した。おおむね、僧も一般人も、身分の上下にかかわらず、みな泣いています。

(解説)
さて、これを兼実に報告している「ある人」が誰かが問題である。普段報告に来る官吏ではないようである。「昨日売買の便を失う」と言わせているから、出入りの商人かもしれない。商売人は本当の事は言わないものである。儲かってしょうがないときは「ぼちぼちです。」、「赤字ですよ」と言うときは収支とんとん。大赤字で首が回らないときは夜逃げと。残らず刈り取り、横取りし、残らず奪い取りしたら、京都市内は餓死者があふれそうだが、そのような風聞は無い。病で寝込んでいて、ある人の話を確認も出来ずに書いているだけである。
 全て刈り取られた、全て奪い取られた、一切存命出来ないと書いている。殺されそうだ、餓死しそうだと。北朝鮮のように市内には餓死者があふれかえりそうであるが、そのような風聞は無い。追捕に逆らった一般人が殺されたという風聞すら無い。多分、義仲軍の兵士は農民出身が多いので、刈り取りの応援に出たのが誤解されたか、平家軍のように刈り取りし横取りしたか。ある一人の田一枚が全部奪われたのが、ある一人は田全部奪われた、さらに農民全員が全部奪われたと大袈裟になり、兼実に伝わった。運上物にしても、ある一人の持ち物が全部奪われた、それがその人のグループ全員が奪われた、さらには運上物は全部奪われたと大袈裟になった。普通の常識で考えれば、そのような事はあり得ないが、兼実は義仲軍ならやりそうだと先入観を持っているからそのようなデマも真実と思い込み、記述した。餓死者がいないのは市民が互いについぶくし食糧を手に入れ、更に義仲軍団の追捕による食糧の再分配の効果かもしれない。
 なお9月6日以後は乱暴狼藉の記述が無い。善意に解釈すると、ほぼ1か月で混乱を制圧したようである。あるいは8月27日より以前に制圧し、8月28日には特に乱暴した者を処分したようである。

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