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2006年1月22日 (日)

6.2 兵粮米不足

6.2 兵粮米不足

「玉葉」養和元年閏二月六日「反逆を宥行か、なお追討か」
「清盛没後は宗盛万事院宣に従うべき旨を奏す」
前大将宗盛卿院に奏していわく、
「関東の事」
先ず関東の事、兵粮すでに尽き、征伐に力無し、
「反逆を宥行せられるべきか、なお追討せられるべきか」
故入道(清盛)沙汰の如くば、西海・北陸道等の運上物を併せて点定(点検し、定める、徴収)し、かの兵粮米に宛てるべしと。此の条又何様に候すべきか。もし宥(ゆるす、なだめる)行されるべしの儀有れば、計らひ仰せ下さるべきか、又猶追討せらるべくば、其の旨を存ずべし。
(現代文)
平宗盛が後白河法皇に申し上げました。頼朝などの関東の反乱については、兵粮米などが不足し、征伐する力がありません。先日亡くなった清盛の指示では、西海道や北陸道等からの運上物を取り上げて兵粮米にあてるべしと。この件はいかがいたしましょうか。もし反乱の罪を免じて許すならばそのようにご命令下さい。あるいは猶追討するべきならば、清盛の指示のようにする事をご承知おき下さい。
(解説)
清盛の死(閏二月五日)後、後継者となった宗盛が、以後は全て法皇の命令に従います。しかし兵粮米が不足しているので、追討軍は運上物を強制取り立てをするのでご承知下さいと申し上げている。

[吉記]養和2年2月22日「人人を食う事実無し」 
 伝聞、五條河原の辺、三十歳ばかりの童死人を食うと。人人を食う、飢饉の至極か。定説を知らずと雖も、珍事たるに依って、なまじいにこれを注す。後聞或る説に、その実事無しと。
(現代文)
人づてに聞く。五条の河原の近くで、三十歳くらいの男が死人を食うという。人が人を食うとは、飢饉が頂点に達したか。明確な説ではないが、珍しい事件なので、あえて記載しておく。後から聞く処ではそのような事実は無いという。
(解説)
人が人を食うの珍事なので、あえて記述するとある。勿論たんなる風説(デマ)である。記述したが誤りと後日訂正している。

1182年 (養和2年)3月17日 天晴 [吉記]
「兵粮米徴収を検非違使庁の遣いに託す」
近日諸国の庄々「兵粮米」重ねて苛責有り。使庁の使を付けらるべき由、院宣を下さる。行隆朝臣沙汰なり。上下色を失う事か。
(現代文)
近日より、諸国の私有地への「軍用米」を重ねて厳しい取り立てが実施される。軍用米の徴収を検非違使庁(警察兼裁判官)から派遣する役人に託す旨、法皇の命令を下された。行隆朝臣の指図である。公家官吏上下ともに驚き恐れて顔色が青ざめる事である。
(解説)
 この兵粮米の徴収が頼朝が悪法と非難した院宣のようである。

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