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2006年1月27日 (金)

6.7 「自由任官の非難(頼朝軍の追捕)」

6.7 「自由任官の非難(頼朝軍の追捕)」

「吾妻鏡」元暦2年4月15日 
「東国侍の内任官の輩本国に下向することを停止」
 関東の御家人、内挙(ないきょ)を蒙らず、功無くして多く以て衛府(えふ)・所司(しょし)等の官を拝任す。各々殊に奇怪の由、御下文を彼の輩の中に遣わさる。件の名字一紙に載せ、面々その不可を注し加えらると。
 下す 東国侍の内任官の輩中
 本国に下向することを停止せしめ、各々在京し陣直公役に勤仕すべき事
  副え下す交名注文一通
 右任官の習い、或いは上日の労を以て御給を賜い、或いは私物を以て朝家の御大事を償い、各々朝恩に浴す事なり。而るに東国の輩、徒に「庄園の年貢を抑留し、国衙(こくが)の官物を掠め取り」、成功に募らず自由に拝任す。官途(かんと)の陵遅(りょうち)すでにこれに在り。偏に任官を停止せしめば、成功の便無きものか。先官当職を云わず、任官の輩に於いては、永く城外の思いを停め、在京し陣役に勤仕せしむべし。すでに朝列(ちょうれつ)に廁(まじ)う。何ぞ籠居(ろうきょ)せしむや。もし違い墨俣以東に下向せしめば、且つは各々本領を召され、且つはまた斬罪に申し行わしむべきの状、件の如し。
(中略)
 渋谷馬の允(じょう)  父は在国なり。而るに平家に付き経廻せしむの間、木曽大勢を以て攻め入るの時、木曽に付いて留まる。また判官殿御入京の時、また落ち参る。度々の合戦に、心は甲にて有れば、前々の御勘当を免じ、召し仕わるべきの処、衛府して頸を斬られぬるはいかに。能く用意して加治に語らい、頸玉に厚く巻金をすべきなり。
。(以下略)

(現代文)
関東の頼朝の家来達、頼朝様の推薦を受けずにかってに、たいした功績も無く多くの者が朝廷の近衛府・衛門府など、警備の役所や官庁の役職や官職を受けた。それぞれ特にけしからぬ理由を文書によりそれの者に付与した。それらの者の苗字を一枚の文書に記載し、それぞれの不可の理由を追加記載した。
 東国の侍の内で任官した者達に命令する。
 本国に戻る事を停止し、それぞれ京都に居て、軍務や公務に励むべき事。
  注釈付き名簿一通を添えて命令する。
 右任官については、日々の勤労により、御給を戴き、私物を以て朝廷の御大事を償うなど、それぞれ朝廷の恩を戴く事である。それなのに東国の者達は、「やたらに荘園の年貢を強制的にとどめおき、国の役所の官物を横取りし」、功を成すこと無く、かってに官職を受けた。官吏の職務が次第に衰えてゆくことはすでにここに在る。そのことだけで任官を停止したので、功が成るの良い都合は無い。先に任官しようと当職であろうと、任官の者達は永久に関東の城内に入れないと思いきり、京都に留まり軍事の役務に勤めよ。すでに朝廷の臣となっているのである。謹慎などして家の中に閉じ籠もっていてはならない。もし違反して墨俣より東に来れば、それぞれ本領を没収し、また死刑に処す。
(中略)
 渋谷助重は馬の允(うまのじょう、馬を扱う役所の役人)に任官した。これの父重国は本領の相模国にいて頼朝に味方している。それなのに本人は京都において平家に従い経廻する内に、木曽義仲軍が大軍を以て攻め入りし後は、木曽義仲軍に降参して従いて留まる。また判官義経殿御入京の時、また義経殿に降参して従う。その後の度々の合戦には、変心せずに活躍しているので、前々の罪の処罰を免じ、召し仕わるべきの処、衛府の役人となりて首を斬られるはいかがなものか。よく鍛冶屋と相談し用意して注文し、首玉に厚い金を巻いておくのがよいだろう。(以下略)
(解説)
頼朝の推薦を受けずに勝手に任官したので、鎌倉へ戻るな、来たら領地は没収し、死刑にするぞと非難している。そのなかに、「やたらに荘園の年貢を抱え込み、国の役所の官物を横取りし」と「追捕」についても、一年前に停止を命令したのに未だやっていたと非難している。さらに続く約20人の各武士を非難する文章はこれが公文書かというような内容である。これを読んだ義経はどう思ったのだろう。共に命を懸けて戦ってきた武将をかくも非難するのはどうか。たかが任官、表彰状をもらう程度と考えていたかもしれない。
 またこの例のように、親子・兄弟で敵味方に分かれ、家系の存続を計り、有利そうな勢力に追従する武士も少なく無かったようである。

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