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2006年1月12日 (木)

「玉葉」に見る乱暴狼藉の記述

4.「玉葉」に見る乱暴狼藉の記述

4.1 平家軍の場合

寿永二年4月13日
「武士等狼藉、賀茂祭警護」
武者の郎従等、近畠を刈り取るの間狼藉と。警護の上卿(しょうけい)(中納言藤原)実宗卿と。
寿永二年4月14日 雨下る、
「武士等狼藉」
武士等狼藉昨の如しと、凡そ近日の天下この事に依りて上下騒動す、人馬雑物、眼路に懸かるにより横に奪ひ取る、
「平宗盛に訴えるも止まず」
前内大臣(平宗盛)に訴えると雖も、成敗する能わず、制止有りと雖も、更に以て制法に拘わらずと。他所の事に於いては知るべからず、近辺の濫吹太だ畏怖有り、仍って前内大臣の許に示し遣わす。制止すべしの報有りと雖も、更に其の終始無し、実に悲しむべき世なり。

(現代文)4月13日
武士(平家軍)の従者などが近郊の畠の(麦)刈り取りという乱暴をしているようです。
賀茂神社の祭りの警護の責任者は中納言藤原実宗です。
(現代文)4月14日 
武士などが乱暴なことをしているのは昨日と同じようである。まったく最近の世の中はこのような武士などの乱暴によって上も下も大騒ぎである。人や馬や色んな物を路上で目につくものは横取りされる。前内大臣(平宗盛)に訴えても、処罰することは出来ません。制止せよといわれても、こと更に法に違反していないという。他の地方のことは知ることが出来ない。京都近辺の乱暴は大いにおそれおののくことである。依って前内大臣(平宗盛)に状況の知らせを送りました。必ず制止させますとの返事はありましたが、ことさらに始めから終わりまで何の変わりもありません。まことに悲しい時世です。
(解説)
義仲軍追討のため北陸方面に向かう平家軍は先ず京都近辺で「追捕」を始めたようである。この後、平家物語の「かた道を給はッてげれば、逢坂の関よりはじめて・・・追捕し・・・人民山野にみな逃散す。」の状況が続くことになる。兼実は右大臣であるが「追捕」について法皇以下の暗黙の了解がなされたことを知らなかったようである。

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