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2006年1月 9日 (月)

義仲軍の場合

3.2.義仲軍の場合
 「入京後」「延慶本の場合」
 源氏の世に成りたりとも、させるそのゆかりならざらむ者は、なにの喜びかあるべきなれども、人の心のうたてさは、平家の方弱ると聞けば内々喜び、源氏の方強ると聞けば、京に入りてぞ喜びあひける。さはあれども、平家西国へ落ちたまひしかば、その騒ぎにひかれて安きき心なし。資材雑具東西南北へ運び隠すほどに、ひき失うこと数をしらず。穴を掘りて埋めしかば、あるいは討ち破り、あるいは朽ち損じてぞうせにける。あさましとも愚かなり。
 まして北国の夷討ち入りにし後は、八幡、賀茂の嶺を憚らず、青田を刈せて馬に飼ひ、人の倉を打ち破りて物を取る。しかるべき大臣公家のもとなむどこそ憚りけれ、片辺につきては武士乱れ入りて、少しも穏しき所なく、家々を追捕しければ、いま食はむとてとりくはたてたる物をも取り奪われ、口を空しくしけり。家々には武士有る所もなき所も、門門に白旗立ち並べたり。道をすぐる者も安きことなし。衣装を剥ぎ獲りければ、男も女も見苦しきことにてぞ有ける。平家の世には六波羅殿のご一家と有しと、老いたるも若きも嘆きあへる事斜めならず。木曽かかる悪事をふるまひける事は、加賀の国井上の次郎もろかたが教訓によりてとぞ、後には聞こえし、
(現代文)
 源氏の世に成るといいながらも、さして源氏に縁の無い者は、何も喜ぶ事は無いけれど、人の心の情けなさは、平家の勢力が弱くなると聞くと内心では喜び、源氏の勢力方が強くなると聞くと、京に入るぞと喜びあいました。そうはいいながら、平家が西国へ落ちゆくときも、その騒ぎにつられて安心は出来ません。混乱による略奪を恐れ、資材や道具を東西や南北の片田舎へ運び隠すうちに、ひき失うものは多数である。穴を掘って埋めたりしても、誰かに討ち破り取られる、あるいは朽ち損じて消えてしまうものもある。情けなくとも愚かなことである。
 まして北国からの朝敵が討ち入りし後は、八幡、賀茂の嶺地であろうが遠慮せず、田んぼの稲が実る前の青草の状態のものを刈り取って馬の餌にしてしまう。人の蔵をかってにうち破りて物を取り出す。名のある大臣や公家の家屋敷などは遠慮しても、京都の周辺の片田舎については武士が乱れ入りて、少しも穏やかな所なく、家々を追捕したので、いま食べようとして用意した物をも横取りされ、食べる事が出来なかった。それぞれの家には武士が居る所も居ない所も、門門に目印の白旗を立ち並べた。道を通行する者も安心は出来ない。着物を剥ぎ取られるので、男も女も見苦しい状態になる。平家の世では六波羅殿(平清盛)のご一家とわかると、老人も若者も嘆きあう事はひととおりでなく、はなはだしかった。木曽義仲軍がこのような悪事を行う事は、加賀の国の武士で井上の次郎師方の教えによるものであると、後から聞こえてきました。

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