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2006年1月 8日 (日)

「平家物語」延慶本による追捕乱暴の場面

3.「平家物語」延慶本による追捕乱暴の場面

 「平家物語」延慶本には、平家軍、義仲軍、鎌倉軍の追捕の記述がある。義仲軍入京前の混乱の記述は無い。しかし、よく読むと3.2の前半は入京前の混乱を表現しているようでもある。

3.1.平家軍の場合

 「北国下向」「延慶本の場合」
片道賜りてければ、路地もて会える物をば、権門勢家の正税官物、神社仏寺の神物仏物をもいはず、をしなべて逢う坂の関より、これを奪い取りければ、狼藉なる事おびたたし。まして、大津、唐崎、三津、川尻、間野、高島、比良の麓、塩津、海津に至るまで、在在所々の家々を次第に追ふくす。かかりければ、人民山野に逃げ隠れて、はるかにこれを見やりつつ、おのおの声整えてぞ叫びける。昔よりして朝敵を鎮めむが為に、東国北国に下り、西海南海に赴く事、その例多しといへども、かくの如くの、人民を費やし国土を損ずる事なし。されば源氏をこそ滅ぼして、かの従類を煩わしむべきに、かやうに天下を悩ます事はただ事に非ずとぞ申ける。
(現代文)
兵粮米の片道分の現地調達(追捕、ついほ、ついぶく)を認められたので、進軍途中にあたるものは京都の公家の荘園の運上物だろうが国税だろうが、神社の神物だろうが仏寺の仏物だろうが構わず、全て一様に逢う坂の関から奪い取りながら進むので乱暴で乱雑なことは大変なものである。さらに大津、唐崎、三津、川尻、間野、高島、比良の麓、塩津、海津に至るまで、あちこちの家々を順々に追ふく、強制取り立てしていく。このような状態なので、人民は山野に逃げ隠れて、遠くからこれを見送りながら、それぞれ声をそろえて叫んだ。昔からこのように朝敵を鎮める為に、東国道や北国道に下り、西海道や南海道に赴く事の例は多しといいながらも、このような、人民の労力や資材を費やし国土を損ずる事は無かった。すなわち源氏をこそ滅ぼして、源氏の一族と家来どもを苦しめ悩ませるべきなのに、このように世間一般を悩ます事はただ事では無いと言いました。

兵粮米不足であるが、反乱軍の鎮圧はしなければならない。やむをえない選択である。正式な天皇の命令、宣旨が出たか、暗黙の了解かは不明。食糧だけでなく、色々な資材や、人夫をも徴発したようである。多分、食糧や資材の輸送その他の雑用に使用されたようである。

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