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2006年1月26日 (木)

6.6「船無く粮絶え、船を用意し兵粮米を送る」

6.6「船無く粮絶え、船を用意し兵粮米を送る」
「乗馬を所望、馬は送らぬ」
1185年 (元暦2年、8月14日改元 文治元年 乙巳)
1月6日 「吾妻鏡」
「船無く粮絶え、船を用意し兵粮米を送る」
「乗馬を所望、馬は送らぬ」
 平家を追討せんが為西海に在るの東士等、船無く粮絶えて合戦の術を失うの由、その聞こえ有るの間、日来沙汰有り。船を用意し兵粮米を送るべきの旨、東国に仰せ付けらるる所なり。その趣を以て、西海に仰せ遣わされんと欲するの処、参河の守範頼(去年九月二日出京し西海に赴く)去年十一月十四日の飛脚、今日参着す。兵粮闕乏するの間、軍士等一揆(いっき)せず。各々本国を恋い、過半は逃れ帰らんと欲すと。その外鎮西の條々これを申さる。また乗馬を所望せらると。この申状に就いて、聊(いささ)か御不審を散ずと雖も、猶雑色定遠・信方・宗光等を下し遣わさる。但し定遠・信方は在京す。京都より相具すべきの旨、宗光に仰せ含めらる。宗光委細の御書を帯す。これ鎮西に於いて沙汰有るべきの條々なり。その状に云く、十一月十四日の御文、正月六日到来す。今日これより脚力を立てんとし候つる程に、この脚力到来し、仰せ遣はしたるむね委しく承り候たり。筑紫の事、などか従はざらんとこそおもふ事にて候へ。物騒がしからずして、よくよく国に沙汰し給べし。構えて構えて国の者共ににくまれずしておはすべし。馬の事、実にさるべき事にてはあれども、平家は常に京城をうかがふ事にてあれば、もしおのづから道にて押しとられなどしたらん事は、聞く耳も見苦しき事にてあらんずれば、つかはさぬ也。又内藤六が周防のせいを以て志をさまたげ候なる、以ての外の事也。(中略)
(現代文)
 平家を追討する為に、西海道(九州地方)に在る東軍の武士達が、兵船が無く食糧も絶えて合戦の手だてを失うという状況について、その情報が有るので、日頃より指図が有りました。兵船を用意し軍用米を送るべきの趣旨を、東国に命令を下しました。同様の趣旨を以て、西海道にも命令を下すため使者を派遣しようとした処、参河の守範頼(去年九月二日出京し西海道に赴く)からの去年十一月十四日の飛脚が今日到着しました。食糧が欠乏し、将兵等は心を同じくしてまとまることが無い。各々本国をなつかしがり、過半数の者は逃れ帰ろうとしているようだ。その外に九州の国々の者達も同じく申している。また軍馬が不足し乗馬を所望しているようだ。この申し状に就いては、いささか御心配ありといえども、猶雑色(下級の役人)の定遠・信方・宗光等を下し派遣する。但し定遠・信方は在京するものである。京都より相伴うべきの趣旨は宗光に命令する。宗光は委細の御文書を所持する。これは九州に於いての有るべき指図の条件などが記載されている。その文書には次のようになる。十一月十四日の御手紙文は正月六日に到来しました。今日これより飛脚を立てようとている処に、この飛脚が到来し、命令を下し派遣したるむね委しく承りました。九州の筑紫の国の事、なかなかには従はないと思います。大騒ぎせず、よくよく国に指図しなさい。九国の武士共に憎まれないように注意することである。軍馬の事、実にそうあるべき事にてはありますが、平家は常に京都へ攻め上ろうとしているので、もし万一、輸送の途中で横取りされたりすると、聞こえも悪いし良くない結果になりかねないので、送る事は出来ません。又内藤六という武士が周防(山口県東部)の勢力を以て追討を妨げているのは、以ての外の事である。(中略)
(解説)
出発したときの食糧が無くなり、追捕(現地調達、略奪)は禁止されているので、命令を守っている部隊は食糧不足と訴えている。ようやく後方からの補給の必要に気づいたようである。ただし軍馬は平家軍の横取りを警戒して送れないと連絡している。

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