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2006年1月19日 (木)

5.5 京都市内の兵粮調達と兵舎の確保

5.5 京都市内の兵粮調達と兵舎の確保

玉葉の治承5年2月8日「京中在家を計注せしむ」
夜に入り大夫吏隆職参来、(略)又云う、昨日京中の在家を計らひ注せらるべき由仰せ下さる。左右京職の官人・官使・検非違使等これを注す。但し国使入らずと。
玉葉の治承5年2月20日「天下飢饉により富を割き貧に与うという」
京中の在家計らるる事、大略、公家富有の者を知し食し、兵粮米を宛て召さるべき故と。但し、兵粮米に限るべからず、院宮・諸家併せ宛て奉られるべし、是天下飢饉の間、富を割き、貧に与えるの義なりと。

(現代文)治承5年2月8日「京都市内の家々を調べて記録させる」
夜になり、大夫吏(太政官(現内閣)の下級役人)の隆職が来た。(略)又話した、昨日京都市内の家々を調べて記録するようにお言葉を下された。左右京職役所の役人・太政官の使者・検非違使(警察兼裁判官)等がこれを記録する。但し諸国の国司の使者は入らないという。
玉葉の治承5年2月20日「天下飢饉により富者の財を分け貧者に与える」
京都市内の在家を調べる事は、おおむね、公家とか富有の者を知り、兵粮米を指定して徴集するためであるという。但し、兵粮米に限るだけではなく、院宮家・諸家に併せて指定されるべきである。これは天下の飢饉のため、富を分かち、貧者に与えるの為であるという。

「玉葉」寿永3年1月27日「兼実の庵借り上げの指示」
 院より武士を居ゑられんため、余の庵(いおり)を借られるべく、家を指す由仰せあり(定長奉行)。承り訖(おわ)る由を申す。事の体言うに足らず。然れども逓れ避く能わず。末代(末世)の事勿論(無論)勿論。
(現代文)寿永3年1月27日「兼実の庵の借り上げの指示」
後白河法皇の院の役所から連絡があった、源氏の武将の宿舎にするため兼実の屋敷の一部を借り上げ、何処にするか指定するとお言葉があった。承知したと答えた。事の次第は言うに足らず。しかし逃れることは出来ない。全く世も末だ。

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