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2006年1月24日 (火)

6.4 「公田庄園への兵粮米を徴集停止の宣旨」

6.4 「公田庄園への兵粮米を徴集停止の宣旨」

「玉葉」寿永三年2月23日 
「宗盛追討宣旨」
「源義仲党類追討宣旨」
「武士押妨停止の宣旨」
「公田庄園への兵粮米を徴集停止の宣旨」
 応(まさ)に早く国司に仰せ、公田庄園の兵粮米を宛て催すを停止すべき事
右治承以降、平氏の党類暗に兵粮と称し、院宣を掠めなし、恣に五畿七道の庄公に宛て、すでに敬神尊仏の洪範(模範となる大法)を忘る。世の衰微・民の凋弊、職(もとより)としてこれに由れり。況や源義仲その跡を改めず、益々この悪を行う。曽(かつて)って朝威を失い、共に幽冥に背く。爰に散位源朝臣頼朝、幾日を廻さず西賊を討滅す。然れば則ち干戈(かんか、たてとほこ、武器)永く劔まり・宇宙静謐す。権大納言藤原朝臣忠親宣す、勅を奉り。早く諸国司に仰せ、宜しく件の催しを停止すべしといえり。諸国承知せよ。宣に依りこれを行う。
     寿永三年二月二十二日     左大史小槻宿祢
   中弁藤原朝臣
   五幾内諸国七道諸国に下すこれに同じ
(現代文)
 まさしく速やかに諸国の長官に命令する。国有地田畑及び私有地田畑への軍用米の割り当て徴集を停止する事。
 右治承年代以降、平氏の武士達が暗黙のうちに軍用米と言いたて、法皇の命令を無断で作製しみだりに全国の国有地田畑及び私有地田畑に割り当て、神様や仏様の尊い教えを無視している。国家社会の衰退や人民の疲弊はもとよりこれによるものである。まして、源義仲はこれを改めず、益々この悪法を続行した。かっての朝廷の権威を失い、共に冥土に背くものである。ここに源頼朝が、永い年月をかけず西国の賊平家を討滅した。さすればつまり戦争は永く収まり・天下は平穏になりました。権大納言の藤原朝臣忠親が宣言する。天皇の命令をいただき、すみやかに諸国の長官に言いつけ、宜しく軍用米の割り当て徴集を停止すると諸国は承知するべし。天皇の命令に依りこれを行うものである。
     寿永三年二月二十二日     左大史小槻宿祢
   中弁藤原朝臣

(解説)
一ノ谷合戦後、武士達の自由横領の禁止と、兵粮米の徴収禁止を宣言した。しかし、頼朝軍はそれ以後路次追捕を完全に停止したかというと、そうはいかず兵粮米不足に悩み追捕を続けたようである。(参照6.6「吾妻鏡」1185年(元暦2年)1月6日)
 文面から推理すると、義仲は「武士達の自由横領」つまり路次追捕の禁止のみはつとめたが、「公田庄園への兵粮米の徴収」は継続したようである。つまり弱者たる庶民からの略奪は禁止し、強者たる法皇、宮家、公家、寺社、諸国からは兵粮米の徴収をした。
 さらに悪法なので禁止と言いながらも、後日、再びより強固な兵粮米の徴収を始めている。(1185年 ( 文治元年)11月28日 6.5参照。)また「吾妻鏡」の記述では諸国兵粮米の停止は文治2年3月21日である。記述ミスか故意に無視していたのか。

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