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2006年1月 4日 (水)

1.2 各資料の説明

1.2 各資料の説明
 「玉葉」とは、京都の公家、九条兼実(くじょうかねざね)の日記である。彼は自己及び子孫の参考のため記録したのであり、後日公開されるとは考えず、思った事、聞き伝え、秘密事項も詳しく記述している。九条兼実は右大臣も務める貴族であるから、新興勢力の武士に反感を持っている。義仲についてもかなり反感を持って観察し記述している。当時の権力の中枢は御白河法皇とその近臣にあり、九条兼実は右大臣ではあるが病弱で、平家・法皇と意見が対立する事が多く、単なる御意見番のような立場であった。重要な会議に参加出来ないこともあるが、参加者などから伝え聞いて年・月・日毎に詳細に記録している。
 「愚管抄」は兼実の弟で僧侶の慈円(じえん)が、歴史上の大きな事件毎に記述したもので晩年の1220年頃書かれたとされている。
 「吉記」は左大弁吉田(藤原)経房の日記である。後に権大納言となる。「玉葉」に比較すると欠落が多い。
 「吾妻鏡」は鎌倉幕府の公式記録とされ、信用度は高い。これが公式記録かと疑うような記述もある。叉、義仲入京の寿永二年や、頼朝死亡の年などの記録が欠落している。
 「山槐記」は中山忠親の日記である。内大臣と進んだ。三公を三槐ともいう。そこで中山の山を加え山槐記と称した。欠落が多い。平家物語に出てくる「富士川の合戦」で平家軍が水鳥の羽音を敵軍の襲来と勘違いし、退却する話しが出てくるが虚言(デマ)甚だ多しと記述している。
 「平家物語」の原作者は不明であるが、琵琶法師の語り物として伝承され、後日文章化されたので、細部については違いが見られ、大略語り本系と読み本系と分類されている。

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