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2006年1月 3日 (火)

木曽義仲朝日将軍の洛日

「木曽義仲朝日将軍の洛日」

「朝日将軍木曽義仲の洛日」
「平安貴族の見た木曽義仲」

1.1 「玉葉」「愚管抄」「吉記」「吾妻鏡」

 「平家物語」によれば、木曽義仲軍は京都での乱暴狼藉などの悪評により、鎌倉の頼朝・義経軍に討たれたことになっている。九条兼実の日記「玉葉」にも乱暴狼藉の記述がある。九条兼実の弟の慈円の著書「愚管抄」には、義仲軍の乱暴狼藉の記述は無く、意外な事件の記述がある。乱暴狼藉などは「平家物語」の「創作・誇張」である。多くの歴史研究者が指摘するように「平家物語」は史書ではなく単なる文学作品である。現代の小説である。例えば宮尾登美子の小説は事実かと問うのと同じである。平家物語では他の史料と比較して多くの史実上のミス、又は創作が指摘されている。原作者は案外忠実に記述したかもしれない。しかし琵琶法師の伝承の過程で、変形編集され、原作本が紛失し、後日、再度文章化されたときは、かなり史実と異なる諸本が多く残ったようである。
 「勝てば官軍、負ければ賊軍」の時代である。当時の権力者、鎌倉の頼朝や京都の朝廷に逆らう事は困難である。負けた平家、義仲だけが悪く、頼朝・義経は正しいと表現せざるを得ない「平家物語」の限界である。義経でさえ美男子だったかもしれないのに「色白で反っ歯の小男」と表現されている。もっともこれも最後まで義仲に味方した山本義経という武将の容貌が誤って伝えられたとか、わざと誤報を流したという説もある。後白河法皇とか頼朝の良くない表現は当然の如く有り得無い。
 歴史は勝者が作る。敗者の善行は語られないが、勝者の善行は大いに語られる。敗者の悪事は大袈裟に捏造され語られるが、勝者の悪事は小事でも不問にされる。
 後世の小説家の多くが「平家物語」と「玉葉」の一部の記事を鵜呑みにして義仲軍のみが乱暴狼藉を働いたように記述しているが、実は平家物語や玉葉にも平家軍・頼朝軍ともに同様に乱暴狼藉の記述があり、「愚管抄」には、義仲軍等の乱暴狼藉の記述は無く、意外な事実が記載されている。
 本書では、かなり正確な史料とされている「玉葉」「愚管抄」「吉記」「吾妻鏡」等に基づき、義仲軍が京都へ朝日が昇る勢いで攻め上がり、後白河法皇、頼朝の計略により、落日の如く消えて行く様子を観る。

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